韓国で演劇を学ぶ女子大生が、日本の男装アイドルになるまでのお話

 

 

本日の末吉咲子さんのファンミーティングで、韓国から日本に来た経緯と、日本に来てから風男塾さんに出会うまでのお話をしてくれたのですが、個人的にきちんと残しておきたいなと思ったので、ここに書かせてもらおうと思います。

 

 

〈注意〉

*会話文は必ずしも一語一句合っているものではありません。ニュアンスとして受け取ってください。

*タイトルなどは分かりやすいように私が勝手に段落づけのためにつけたものなので、イベント本編でそのように振り分けられていたわけではありません。

*ブログのタイトルも同様です。

*何か訂正・付け足し等ありましたらご連絡頂けると幸いです。

 

以上を確認の上お進みください。

 

 

 

 

韓国から日本へ


韓国の大学の演劇映画科に留学していた咲子さんですが、どうして日本へ帰ってきたのか。

 


きっかけは、韓国で演劇の勉強をしている中で日本の舞台(能や歌舞伎)についての話が出てきたときのこと。

当時の咲子さんは、能も歌舞伎も見たことがないし、劇団四季なども1回しか見たことがなかったそうで、「韓国に来てはいるけど、考えてみると日本のことなにも知らないな」と感じたと言います。

 

 

そして、思い立ったが吉日というかのように、即決で日本行きを決めた咲子さん。(早い)


ただ、親に突然「日本に帰る」と言ったら絶対反対されると思った咲子さんは、「2週間だけ日本に行く」と嘘をついて、元々東京に住んでいたお兄さんの家へ転がり込みました。


そうして今日まで続く、ながいながーい2週間が始まります。

 

 


舞台に立ち続ける


まず日本について最初にしたことはバイト探し。始めたバイトはバーテンダーでした。

「せっかくやるならバイトだって何か身になるものをやりたいと思って」そう話す咲子さんを見て、さすがだなぁと思った次第です。

ちなみに、本日のオリジナルドリンクにあった“チンザノロッソジンジャー割り”(「紅に染まればいいじゃん!」という名前でした)も、バーテン時代に生まれたらしい、咲子さんが考えたカクテルでした。

 

だけどお酒を作るのが楽し過ぎて、気がついたら帰国してから半年間『ただただバイトだけする人(本人談)』になってたと言います。

 

 

半年経ってようやく、舞台のオーディションを受け始めた咲子さん。


最初に出た舞台は2015年11月の「DEAD ONE SCHOOL~死者1は群れをナシマス~」という舞台でした。

 

そして2度目の舞台は、そこから5ヶ月後の2016年4月の「透明少女」。この舞台が、咲子さんにとって大きな転機になったと言います。

 


この舞台は全キャストをオーディションするタイプのものではなく、俳優として普段からお仕事されている方がある程度いる中で、一部のキャストをオーディションする、という形でした。


そしてその舞台の稽古中、とある俳優さんから言われた言葉が咲子さんに火をつけたそうです。


『俺は、お前らと違うから。舞台で飯食ってるし、バイトとかでやってないから』


「酷いって思うかもしれないけど、でもそれってすごいプロ意識が高いってことだと思うんです。」と前置きした上で、「でもその時は私カッチーンときて!『こいつより絶対売れてやる!!!』って思ったんですよね(笑)」と。

 

 

その後咲子さんは、その人が普段どんなことをしているかを調べました。すると、毎月舞台に出てることに気づきます。

「じゃあ私も毎月舞台出よう」という考えに至った咲子さんは、運良く1ヶ月後の5月にある舞台に出られることになります。それが、咲子さんが男装して機械オタクの弱虫な男の子を演じていた「タイラー!」と言う作品です。

そして6月は「オレンジノート」、7月に「アマゾネス~return of the amazons~」、8月は「ファントム・チューニング」と、見事なまでに有言実行していきます。

 

そして次に舞台に出るのは少し空いて、2016年11月の「初等教育ロイヤル」。

ここで初めて9月10月と2ヶ月間空きますが、咲子さんは何をしていたのか。


そう、今日会場にいた多くの人が末吉咲子さんを知るきっかけとなる、とある男装アイドルグループに出会っていました。

 

 


舞台女優から男装アイドルへ

 

咲子さんは舞台に出続ける中で、ふと「自分のセールスポイントは何なんだろう」と考え始めたと言います。

実際にいろんなイメージの宣材写真を刷ってプロフィールを送っていたようで、スライドには、透明感ある少女な咲子さんやそれよりも大人っぽい咲子さん、とにかく違うイメージの宣材写真が映ってました。


そして、自分で考えたり色々な人に相談してみる中で、「自分にはもっと中性的なイメージの方が合ってるんじゃないか」という結論に至ったと言います。

周りから「思い切って髪切れば?」とも言われ、(え、切っちゃう?うーん、でもボーイッシュ路線で行くなら…)と、もう髪を切る寸前まで行った時に、咲子さんは見つけてしまいました。そう、「男装アイドル『風男塾』」を。


「これだ!運命だ!」と思い、オーディションを受け、7月に出たアマゾネスという舞台の本番中に、「これから一緒にお仕事させて頂こうと思うのですが、よろしいですか?」と、合格の電話が入りイエスの返事をした咲子さん。

帰り道、普段は連絡を取らない母親に「風男塾受かった!」と、リアルにスキップをしながら嬉々として報告したそうです。(可愛い)

 

 

 

ここまでが、今日のファンミーティングで聞いた、「韓国で演劇を学ぶ女子大生が、日本の男装アイドルになるまでのお話」でした。

 

 

末吉咲子さんが自分の魅せ方を考えに考えて行き着いた先が「紅竜真咲くん」という一人の人物であったことを考えると、私の中ではとても感慨深いものがありました。

 

男装なのに本物の男の子かというようなレベルのビジュアル故に、「男装アイドルになるべくしてなった」と言いがちでしたが、それは偶然でもなんでもなく、まんまと末吉咲子さんのセルフプロデュースに魅せられていたんだなぁと、してやられたなぁと頭を抱えたくなった次第です。

 

 

以上、末吉咲子さんのファンミーティングの抜粋レポでした。

他のレポは、覚えている限り別の場所に書けたらと思います。